プンクチル日記

3ピースバンドpunkchill(プンクチル)の日常

[あたろう日記]五月の近況/自分が知っていると知らなかった言葉

小沢くんと楳図先生の声は…似ている…


って、何をまた突拍子もないこと言い出すねんな、とみごろう、と思ったけれども、よく考えてみれば、痩せ型なところとか、のっぺりとした皮膚の感じとか、肉体的に似通ったところがある。彼ら確かに。胃腸が同じタイプって感じ。
似通ったからだから似通った声が出ても、不思議はないかもしらん。

最近のこと。


粘着質で感じの悪い不機嫌な知らないおっさんというかお爺と、仕事でやりとりをせねばならなかった。
自分とは縁もゆかりも関係もない権威を持ちだし、物事を何とかしようとする、しょーもないおっさんで、わたしが最も忌み嫌うタイプの人間であった。


ウワ、何というとことん不愉快なおっさんであることか、しょーもないやつちゅうのは万国共通やな、あほらし、と
やり過ごした後、自分の席に戻ったのだが、ふと、さっき自分があのしょーもないおっさんと話した中で使ったあの言葉、あんな言い回し、そもそも存在したっけ?と急に疑問が湧いてきた。よく考えたら、これまでに1度も口に出したことも、書いたこともない言い表し方であった。


心もとなかったので、ネットの英和辞典で検索してみた。ら、あった。
ちゃんと、自分が意図したのと同じ意味だった。
自分がその単語を知っているということを、その時まで知らなかった。認識していなかった。


そのことを発見した時、日常という名の惰性にどっぷり身をゆだねて淀み、濁り、くすんでいた目の前が
急にさあっ!と開けた気がした。
それでなぜだかおかしくなってきて、ひとりで笑ってしまった。あはは、何じゃこら。あはは。


子どもの頃って、突如何かが急におかしくなって、ケラケラいつまでも笑ったりするものだけれど、そういう、いかんともしがたい衝動だった。子どものあれはきっと、自分の知らない自分に触れて、それがうれしくて、目の前に広がる世界の不思議さのしっぽの先っちょに、気まぐれにくすぐられた感じで、それで時々、ああいう風になってしまうのかもしれないなあ。大人になって久しいから、すっかり忘れていた。


そんで、低め安定の五月のこころは、ちょっと浮上した。いつものように、どこまでも自家発電。自己完結。


あた毛呂